日雇いめとみ屋の雑記
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ブログ、あります。
そんな謳い文句で訪問者は来るものではないだろうに、何度も試しては続かず、何度目か数え切れないほどのアホ面をして、このブログを描いている。
ここ二年。精神的にボロボロであった。職場には、人間とは思えない人がいて、精神がむしばまれた僕は逃げた。本当に逃げ出したのだ、玄関から。
その後は、僕の知識ではまるでついて行けない現場に流され、一年やってドクターストップ。
同じ職場にお情けで戻り、それでも気分は上がり下がりの山だらけ。
二ヶ月前には、辞める辞めないの繰り返しであった。
6月終わりに東京で格闘プレイをしていなければ、終わっていたのは間違いない。
いつの間にかプロレスごっこは、生き残るための「お薬」になっていた。
僕にとって、格闘嬢は包み込む母性であり、友達であり、一方的な恋人である。
もちろん客として、そこは一線を引くものだ。
マゾッホの「毛皮のヴィーナス」では自分の妻に契約書を書いて、主人公は奴隷となる。
若い外国人の男に妻を取られても、それを受け入れるのが奴隷の証明だ(実際は終盤で激しい感情の起伏があり、ドラマを生み出すのだが)
ただ、最後に主人公は奴隷になった事を愚かな選択だったと考え、
「鞭を打たれる者は鞭を打たれるのにふさわしい人間でしかない」
「私の場合は、ご覧のように、打たれた結果が上首尾となったわけです」
などと、実は私もゾンビでしたみたいな締めくくりをする。
この感覚に似ていて、僕の趣味としては女性と闘うのが本質ではないし、Mではない。
それでもプロレス技を受け続ける事が、どうしたことか、人生を上首尾にしてくれたって話である。
鞭ではなく、プロレス技と優しさが僕を「上首尾」にしてくれのだ。