日雇いめとみ屋の雑記
[PR]上記の広告は3ヶ月以上新規記事投稿のないブログに表示されています。新しい記事を書く事で広告が消えます。
だいぶ、僕の職場は風通しが良くなって、精神的な負担も減った。
創作はコツコツと続いている。
毎日なにかを仕上げて、ツイッターに上げれば僕の絵を知ってくれる人も増えるかしらん。そう思いつつも、毎日は難しいぞ、汚い絵でも沈黙よりはマシだが、そうなるとペン入れの技術が駄目になる。近頃は、ペン入れの感覚を思い出してきた所なのだ。
汚い絵なら毎日更新できるのならば、漫画を定期的に上げようか。既にパラフィリアの女王様、エリカさんを題材にした4ページ漫画を描いているが、それとは別物になるだろう。
エッセイ漫画になるだろうけど、たぶん、思いつきを述べるだけの作品になりそうだ。
ガンダムの新作が始まる直前は、イメージが違うなあ、若い人が気に入るなら良いんじゃないかと興味は薄れていたのだが、4話目まで観て、すっかり気に入ってしまった。昔なら主人公を題材にプロレスラー姿を描いたりしたんだろうけど、僕はこのまま、本編の主人公を愛でていくとしよう。
古い作品で「ナショナルキッド」も見始めたのだけど、なかなか楽しい。今の目から見て、傑作とは、さすがに言えない。だけれど、色々とヒントをもらった。
絵を描くスペースでも作ろうと、部屋を片付けたら、肝心の絵を描かなくなった。知人が「断捨離だ」と言って、本やらCDをくれるもので、ますます荷物が増える。こちらも増えすぎた本は、まっさきに処分したいが、少しくらい読んでから捨てるのを判断しようとして時間が進まぬ。
明日に死んでもおかしくはない歳だ。気弱ではなく、実際に病で死んでる同年代が増えてきた。
荷物を減らさねば!
手持ちのSF文庫本は再版される可能が低い。貴重品は無い。「99%のクズ」を集める病。電子書籍で全て復活してくれたら薬にもなろう。
絵を中断している理由は他にもあって、パンサー理沙子の絵を描こうとしたら、脚の構造をまるでりかいしてないと気づいたのだ。 こちらはこちらで練習だが、とにかく一つでも話を発表しなければ。
ゆにきろさんのブログが消えていた。
ずっと前から更新はせずネット上から姿を消し、今回もサーバーのサービス停止による削除なのだから、やむを得ない。
こういう胸の描き方を自分でも学ぼうと思っていたが、未だに描けていない。
僕がゆにきろさんと関わったのは、あちらからのお誘いだった。醜いことに、下手な絵しか描けないくせに、なぜキャット界隈は僕を無視するのかと憤っていたし、交流も下手であった。単純に、興味を持たれる実力では無かったのだ。
何はともあれ交流が始まり、あちらの企画にもちょいとばかり参加した。
でも、その内に悪い癖が出てきた。
良いか悪いか、思いつきはどんどん飛び出す。
ゆにきろさんのキャラと、僕のとで、クロスオーバーさせよう!
洋美というキャラを僕の看板娘の妹とした。
暴挙である。今の自分なら断る。
それでも、自分の頭の中には、創作者たちのクロスオーバーで、めとみの世界を構築しようという思いがあった。
アメコミのクロスオーバーはもとより、SFのローダンシリーズ。
とにかく、いろんな創作者が世界を広げてくれる。
現実には、人の思いがそれぞれにありすぎて、早々に崩壊するものだ。
しかし、ゆにろさん以外にも協力してもらい、僕は好き勝手なクロスオーバーを楽しんだ。
問題は、その企画を遂行する持続力がなかった事だ。
今は全速力で、とにかく一話を仕上げる。
時間はきっと、残されていない。
ブログ、あります。
そんな謳い文句で訪問者は来るものではないだろうに、何度も試しては続かず、何度目か数え切れないほどのアホ面をして、このブログを描いている。
ここ二年。精神的にボロボロであった。職場には、人間とは思えない人がいて、精神がむしばまれた僕は逃げた。本当に逃げ出したのだ、玄関から。
その後は、僕の知識ではまるでついて行けない現場に流され、一年やってドクターストップ。
同じ職場にお情けで戻り、それでも気分は上がり下がりの山だらけ。
二ヶ月前には、辞める辞めないの繰り返しであった。
6月終わりに東京で格闘プレイをしていなければ、終わっていたのは間違いない。
いつの間にかプロレスごっこは、生き残るための「お薬」になっていた。
僕にとって、格闘嬢は包み込む母性であり、友達であり、一方的な恋人である。
もちろん客として、そこは一線を引くものだ。
マゾッホの「毛皮のヴィーナス」では自分の妻に契約書を書いて、主人公は奴隷となる。
若い外国人の男に妻を取られても、それを受け入れるのが奴隷の証明だ(実際は終盤で激しい感情の起伏があり、ドラマを生み出すのだが)
ただ、最後に主人公は奴隷になった事を愚かな選択だったと考え、
「鞭を打たれる者は鞭を打たれるのにふさわしい人間でしかない」
「私の場合は、ご覧のように、打たれた結果が上首尾となったわけです」
などと、実は私もゾンビでしたみたいな締めくくりをする。
この感覚に似ていて、僕の趣味としては女性と闘うのが本質ではないし、Mではない。
それでもプロレス技を受け続ける事が、どうしたことか、人生を上首尾にしてくれたって話である。
鞭ではなく、プロレス技と優しさが僕を「上首尾」にしてくれのだ。